2011年11月28日
以前、「ナレズシ 鮎から鮒を見てみよ〜」という記事で
栃木県、鬼怒川の鮎のなれずしについて書いた事があります。
この料理は地元のお祭り、羽黒山の梵天祭りの時に
食べるという習慣から、今の時代においても
細々と継承されているということです。
そんな希少な料理ということから
時々、メディア関係者などもレポートに来られるようです。
なれずし特有の臭みを感じるようですが、
発酵の味を知る者にとっては、何とも美味しい
一品なのだとか…。
しかも普段は売られている訳でもなく、
祭りの日にしか出されない。
ん〜〜〜、気になりますよ〜〜!
と、いうような思いで記事を
書きました。
ツイッターでも
食べた〜い!
と雄叫びをあげた訳ですが、
まっ、予想通り反応は無かったんですね。
(親切な人がリツイートしてくれたんですけどね)
その後、色々バタバタと日々を過ごしておりまして
気が付いたら梵天祭りも終わっておりました。
よっぽど調子を決めてかからないと
北関東までは出掛けられませんし、そんなパワーはない。
しょうがないわなと諦めた?訳でした。
そんなこんな先日、
メルマガ購読者の方からメールが届きました。
茨城にお住まいの平野さんからです。
平野さんの了解も得られましたので
< こちらのページに転写します>。
2011年11月24日
琵琶湖について考えると、色々と想像が膨らんで
大変な事になるのですが(^^ゞ
さて、今回は沖の白石を見に行って
思った事などを書こうかと思います。

<沖の白石に近づく>
沖の白石は琵琶湖に浮き出ている
4つの岩で、一番高い岩で20mほどあるそうです。
しかも、この辺りは水深が深い所でもあり、
Wikipediaによると80mとありますので、
湖底からニョキニョキ〜っと約100mの岩が
突っ立っているような状態だということです。
下に動画を貼付けておきますが、
ガイドでお世話頂いた琵琶湖汽船の川戸さんによると、
船の真下で水深は56mと言っていますね。
この沖の白石は小さ過ぎて陸上からは見えません。
この辺りから360度をぐる〜っと見渡すと
琵琶湖の大きさがよくわかります。
マジで大きいです。

<沖の白石>
湖の上は何にも無〜い、もの寂しい風景ですが
この下に沢山の生き物がいるんですね〜。
私は琵琶湖の生き物については水産資源の視点で
見てしまいがちなのですが、ふと、子供の頃の方が
琵琶湖の食材を良く食べたなぁ〜と思い出しました。
鮒寿司はもちろんですが、小鮎を煮炊きしたものや
豆や大根と小エビを煮たものなども、よくおかずに出されました。
小鮎の天ぷらは我が家のレパートリーには無かったかなぁ〜。
小エビの料理は今でもエビ豆としてネットなどでも検索できますね。
当時、大人は喜んで食べていたようですが、子供だった私は
エビが喉に引っかかってちょっと痛い思いをする、
嫌〜な料理として記憶に残っています(^^ゞ
これ、県内の人だったら共感してくれる人多いと思うのですが
どうでしょう。

<エビ豆>
いずれにしても、これらは
子供の頃はごくありふれた琵琶湖の食材でしたが
今は意識して食べるような時代なんですね。
下の動画は自治会の組の親睦旅行で、琵琶湖汽船を借り切って
琵琶湖を一周したときの一場面です。
近所の子供らが好き勝手喋っていますが、ご了承下さい。
<外部リンク>
小鮎の甘露煮
エビ豆
琵琶湖汽船
2011年11月18日
自治会の組旅行で船に乗って沖島へ行った時の話です。
この島は元々は無人島だったんです。
そして信仰の対象だったんですね〜。
沖島の西福寺の住職さんは
島の歴史について語り始めました。
この島には奥津島神社という延喜式にも載っている古い神社がありますが、
対岸の長命寺山麓にも奥津嶋神社があります。
むべなるかなぁ〜で有名な神社です。
また琵琶湖西岸の白鬚神社方面からの信仰もあったようで、
三つのポイントは一直線に並ぶのだとか。
より大きな地図で 沖島 を表示
人が住み始めたのは保元・平治の乱(1156~1159)
によって敗走した源氏の落武者が〜
そして蓮如聖人が約500年前にこの島に立ち寄られ〜
詳しくは近江八幡観光物産協会のサイトに
掲載されています。下記にリンクを貼っておきますので
関心のある方はご覧下さい。
さて、
現在の沖島は人口400人も切り、日本の高齢化問題を
先駆けて経験している地域だとしつつも、
狭い地域で普段から何か事で一緒に活動するので
皆家族みたいなものなんです。
一番端の家の人が午前中に怪我をしたら、午後には
反対側の端の家の人も知っているような関係ですから、
事件や犯罪などおきたことがありません。
家族みたいという意味では、以前に比べて規模は小さくなりましたが
ここでは法事を勤められるお家にご近所さんが集まって皆で食事をします。
実は私も先ほどまで、あるお家で一緒にご馳走をよばれてきたんです〜。
と住職さんは話を続けられました。

<沖島の西福寺>
いわゆる共食、(ともぐいではなく)共に食べるという行為が
頻繁に行われているということですが、これって
現代社会が失いつつある食事の形態と言われています。
共に食う事で家族や地域の交流を活発に保ち
その中でよりお互いの理解を深めたり、
共通のルールを確認したりしつつ、
共同体を保っていくという事ですね。
これは直会(ナオライ)の考え、
つまり神事の後に供え物を皆で食べる、
との考え方にも結びついていると思います。
(制度として)宗教的な結びつきの強い共同体ほど
共に食う機会が多いのではないかな〜などと思った訳です。
神事も仏事も明治以前は線引きが曖昧なところがありましたから
妙な突込みはなしですw
私が住む地域も同じような共食の文化が残っていますが、
子供の頃に比べて随分簡素化されてしまいました。
裏を返せば、宗教的な結びつきが弱まったと言えるのではないか、
ふと、そう思いました。
また、今時は個人主義wですし、こういうお節介な共同体が
息苦しいと思う人には堪え難い考え方かも知れませんね。
現代日本は人に頼らずとも個人で飯が食えるようになった
人類史上希有の社会で、飢餓ベース、集団ベースで構築された
身体運用技法や儀礼や習慣との間で摩擦が起こるのは当然だと
内田樹さんは多分逆説的にこの現象を説明されています。

<船の中で沖島の食材を共に食う>
そうはいいつつ、同じ地域や共同体に住む者としては
気心が知れない人が近くに居るくらいなら、
気心が知れる方がよいと思うのは少数派ではないはず。
また、先の震災や災害で再確認した人もいるはずです。
同じ共同体(地域、会社、組織など)で暮らす者同士が
自然に気心が知れる場として共食の場は
とても良い場所だと思いますが、
その切っ掛けの理由を新たに設定しないといけない、
そんな時代なのかも知れません。
え?
なんでこんな話になったのかって?
ん〜…。
鮒寿司って多くの人々が集い、共に食う場所に
よく出されていたと思うんですよね〜。
あっ! そーいえば
以前にWFFC東京支部長さんが実践されてましたね〜(笑)
それも下記にリンクを貼っておきます。
<内部リンク>
podcast 31 モヤ〜としたスローフドの考え方と鮒寿司を漬け物の視点からみてみた話
podcast 32 続スローフードに絡めた鮒寿司の話と、望む!美女の鮒寿司好き宣言
podcast 33 島村菜津さん、スローフド、ドンペリ、鮒寿司
WFFC(世界鮒寿司友の会)東京支部の活動、実況中継
<外部リンク>
近江八幡観光物産協会 沖島
個食のしあわせ 内田樹の研究室
直会
むべなるかな
11月 18th,2011
06 私の目線で語る滋賀 | tags:
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