防矢を射る、古代の姫 浅井姫命(あざいひめのみこと)

2012年4月14日

<イメージ 防矢を射る姫>

<イメージ 防矢を射る姫>

今回はむか〜し、昔
千年以上昔にこの地にいたであろう姫が
「私の存在が歴史の闇の中に埋もれてしまっているので
掘り起こして光の中に出して欲しい」
と言っているような、言っていないような、
そんな妄想にかき立てられて書いてみました。

(下記動画はポッドキャストで話した内容に画像を付けたものです)

先日は久々の晴天の休日で、
子ども達と小谷山を山歩きをしてきたのですが、
山を歩きながら色々と感じる事や思う事がありました。

まずは、改めてこの山からは湖北の領域はもちろん
北国脇往還や北国街道などの街道筋が遠方まで見渡せ
山城の位置として本当に優れていたんだなぁ〜ということです。

<小谷山から岐阜県境を望む>

<小谷山から岐阜県境を望む>

そして重要な事は、ここから竹生島が見えることです。

<本丸下 桜馬場から望む>

<本丸下 桜馬場から望む>

竹生島は浅井郡という水陸両方の地域を結び付ける
地理的にも宗教的にも中心となる島ですが、
小谷山もこの地域の要となる山だな〜と思います。

この小谷山に城を構えた浅井氏ですが
その出身は山の少し西側にある
丁野(ようの)という集落だとされています。

<小谷山と丁野の位置>

<小谷山と丁野の位置>

ここの集落には岡本神社という
延喜式にも記載された古い神社があります。

<式内 岡本神社>

<式内 岡本神社>

元々はさらにその集落の西南に位置する岡山という
小高い山に鎮座していたそうです。
中古浅井氏の祈願所としてあったそうです。

主祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)と
大山咋神(おおやまくいのかみ)、
この神さんは大山に杭を打つ神、すなわち
大きな山の所有者の神を意味するそうで
近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)に
鎮座してる神さんで山王とも呼ばれています。

ちなみに、小谷城は本丸の奥に京極丸、
さらにその奥に山王丸がある構成で
浅井氏が京極氏を敬い、さらに比叡山の山王信仰
篤かったと言われていますね。

<小谷城の構え>

<小谷城の構え>

話戻して〜
岡本神社に祀られているもう1つの神さん
それは浅井比咩命(あざいひめのみこと)とありました。

なんと、竹生島の都久夫須麻神社だけでなく
ここにも浅井姫が祀られていたのですね〜。

私はちょっと驚いているのですが、
皆さんよく知った話なんでしょうか〜…

<岡本神社由緒>

<岡本神社由緒>

もしかしたら、その他にも浅井姫命を祀っている神社が
他にもあるかもしれないなぁ〜と思い、調べてみました。
昔の神さんは表記が色々あるのがややこしいですね。

浅井姫命、浅井比売命、浅井比咩命、検索してみましたが
御祭神として記載されている神社は見つけられませんでした。

けれども、1つ面白い記述を見つけました。

それは西浅井町の岩熊(やのくま)という集落にある
矢合神社に関する記述です。

<西浅井町岩熊 式内矢合神社>

<西浅井町岩熊 式内矢合神社>

矢合」の名称について。
昔、浅井姫命と気吹雄命が争った時、
気吹雄命が浅井岡を襲い、浅井姫命は当地まで退き、
防矢を射たという。

このような記述が幾つか見つかりましたが
その出典が何か?(本とか神社の掲示とか)は
今の所わかりません。

でも、この話も私は初めて知りましたので
ゾクゾクしてしまいました。

浅井姫命が象徴する氏族、豪族の本来の本拠地が
どの辺りかは不明ですが、岩熊まで退いたというこを考えると、
ここより北は深い山が続きますから、
もっと南の地方に、その本拠地があったのは
想像出来ますよね。

しかし、南は琵琶湖です。

<岩熊まで退くとは?>

<岩熊まで退くとは?>

多分、水陸両有する浅井ですから
水上を逃げて来たのでしょうね。

気吹雄命(いぶきお、きふきおのみこと)とは、
またの名を多々美比古命(たたみひこのみこと)といい
岐阜県垂井町伊吹にある伊富岐神社
滋賀県米原市伊吹にある伊夫岐神社
祀られています。

<岐阜県垂井町 伊富岐神社>

<岐阜県垂井町 伊富岐神社>

<滋賀県米原市 伊夫岐神社>

<滋賀県米原市 伊夫岐神社>

この伊吹の神さんはとても強いのです。
古事記や日本書紀ではヤマトタケルが
伊吹の神に散々な目にあったことが書かれています。

神々の系譜としてはこんな話もあります。

又云へらく、霜速比古命(しもはやひこのみこと)の男、
多々美比古命(たたみひこのみこと)、是は夷服(いぶき)の岳の神と謂ふ。
女、比佐志比女命(ひさしひめのみこと)、是は夷服の岳の神の姉(いろね)にして、久惠峯に在しき。
次は淺井比杦(あさゐひめのみこと)、是は夷服の神の姪にして、淺井の岡に在しき。
ここに、夷服の岳と、淺井の丘と、長高(たかさ)を相競ひしに、
淺井の岡、一夜に高さを增しければ、夷服の岳の神、怒りて刀劔を抜きて、
淺井比賣を殺(き)りしに、比賣の頭、江の中に墮ちて江島と成りき。
竹生島と名づくるは其の頭か。

この話は
今は現存しない近江風土記に記されていただろう内容を
室町時代初期に編纂された帝皇編年紀に再保存されたもので
古代に編纂された「風土記」の記事かどうか疑わしいとはされてます。
けれども、エピソードとしてはとても興味深い内容です。

伊吹と浅井は元々は同族から分派した一族だったのでしょうか?
ということは、いきなり伊吹の一族が外部から侵入してきたというよりは
交流があったけれども、関係が悪化して争いになった、
という感じなのでしょうかね。

伊吹山の背比べの話は、地元では昔話として
そこそこ知られています。山の背比べということで
理屈で言えば滋賀県の一番高い山の伊吹山(1,337m)と
二番手の金糞岳(1,317m)の話かなと思っていたのですが、
いつも「浅井の岡」という表現が気になっていました。

クリックするとパノラマ写真が展開します。

<小谷山〜金糞岳〜伊吹山>

<小谷山〜金糞岳〜伊吹山>

しかし今回、
岡本神社という「岡」の名の付く神社と浅井姫が関係がある事、
またそこに祀られていた神さんが、元は集落近くの「岡山」という
小山に鎮座していたという事、などを知りました。
何か「岡」という言葉に意味がありそうな気がします。

ちなみに延喜式で掲載されている「岡本神社」は
4社あるとされています。

その中に長浜市(旧浅井町)東野に岡高神社があります。
この神社の由緒を調べたら、以下のような記述がありました。

<当初、岡本神社だった岡高神社>

<当初、岡本神社だった岡高神社>

仁寿元年(851年)近江守小野篁(たかむら)が
現在地に社殿を造営し、奉斎する。
当時岡本郷(後の下草野花)の岡本神社と称した。

え〜〜〜〜! 知らなかった。

さらに、
長浜市(旧びわ町)早崎 五社神社(岡本神社)

もと朝日の岡、淺井岡と称された早崎村内の小字岡ノ柄に鎮座。
中古五柱の神を奉齋し五社明神と称した。『特選神名牒』は、
「早崎村なるは本社にして、丁野村なるは遷しの社とみゆれば
早崎村を式社と定めて可ならん」とする。
とあります。

そして、もう1社
長浜市(旧湖北町)留目 鹿島神社(岡本神社)
です。

こんなことを書いていて、ふと思いましましたが
長浜市(旧浅井町)法楽寺には岡山という小高い山がありました。
北陸自動車道の造成に土が使われて、いまは消えてしまいましたが。

何か、これらの「」は関連性があるのでしょうかね?

<昔、岡山という小高い山がありました>

<昔、岡山という小高い山がありました>

旧坂田郡内の数少ない式内神社にも
「岡」に関連した名前を持つ神社が目立ちます。

米原市(旧山東町)間田   岡神社
米原市(旧山東町)長岡   長岡神社
米原市近江町宇賀野     坂田神明宮(岡神社)
県彦根市後三条町      彦根神社(岡神社)

 

「浅井」と「岡」

直感だけでなく、もう少し深堀する必要がありそうです。
何も出てこないかもしれないけれど…。
でも、ず〜っと眺めていたら「岡」という字は
くせ者のような気がしてきました。

とりあえず、今回の話の内容を地図でまとめてみると
こんな感じになります。

<神話時代の浅井と伊吹の動き 想像>

<神話時代の浅井と伊吹の動き 想像>

浅井郡の北の端から防矢を射た浅井姫。
その後もこの地域が浅井郡と呼ばれ続けたということは
また、姉川の辺りまで南進して伊吹の勢力を押返した
ということでしょうか。

それとも伊吹の勢力が征服して
征服したけれども、元の豪族を神として祀った
という事でしょうか。

いずれにしても
かなりの躍動感で神々が動いていた感じがしませんか?

 

 

<内部リンク>
東南アジア・メコン川と滋賀県・琵琶湖の意外な関係性
浅井郡とメコン川流域との接点、、、、
podcast 60 水陸両方=鮒&米を意識した地名
妄想終結 時間を超えた湖と陸の恵み〜鮒寿司
片山トンネルを抜けると見える琵琶湖から浅井郡を思った。 どう鮒寿司と結びつける?

<外部リンク>
延喜式神社 近江国(中段から後半)
「風土記逸文」~東山道

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