オオカミとフナズシ
2012年3月30日
これから書くことは集落という場所で生まれ育った者でないと
分からない事もあるかもしれませんが、よかったらおつき合い下さい。
最近読んだ本に『オオカミの護符』小倉美恵子著という本があります。
話は神奈川県川崎市宮前区土橋という場所から始まります。
ここは著者の美恵子さんが生まれた場所です。
彼女が生まれた昭和38年頃は農家が50戸程あるだけの農村でしたが、
その頃から急激な開発が始まり今では7000世帯が住む街へと
変貌してしまいました。
土橋地区と聞いてピンと来る方は少ないかもしれませんが
歩いてすぐに東急たまプラーザ駅があるというと
どんな感じの街かイメージ出来る人は多いのではないでしょうか。
彼女の生まれ育った家は茅ぶき屋根の家で、
土橋で取れる土と草と木、そして竹で出来ていて、
牛小屋があり、おじいさんはいつも畑仕事をしていました。
そんな、のどかなこの地域も高度経済成長の波に乗って
人口が増えて、新しい学校ができます。
ある日、同じクラスの男の子が
「俺んちから学校うへ行く間に、ボロい家があってさ
その前を通ると臭いんだ」と言いました。
それ以来、彼女は自分の家が恥ずかしいと
思うようになりました。
彼女は本当は茅ぶき屋根の家もおじいちゃんも
大好きだったのですが、自分が嫌われないように
振る舞っていたのです。
そんな彼女ですが
それから、大人になって日本の各地や外国に行った時に
若い人たちが自分の地域に伝わる芸能や行事をとても大切にして
誇りを持って伝えている姿を見て自然と涙が出てきたそうです。
そして
自分の生まれた地域にも同じように芸能や行事があり
それまで強烈に恥ずかしいと思っていたものがとてつもなく大切で、
本当はきちんと自分自身が自分の言葉で伝えるべきことだった
と気づき、ひたすら記録を取り続けます。
その記録をまとめた本が『オオカミの護符』です。
彼女は自分が「お百姓」の家に生まれながら
「お百姓」の暮らしをきちんと理解していなかったと言っています。
「お百姓」とは田んぼや畑で米や野菜を作る人で
しかも、勉強ができない人や就職ができない人がなる、
誰にでも出来る仕事だと思っていたそうです。
しかしながら、いろいろ調べてくると
自分たちの暮らしに必要な家や道などは自分たちの手で作る
そこそこの土木や建築技術を持ち、冠婚葬祭や集会も自分たちの家で行い
「講」という仕組みで金銭的な助け合いもしてきた、
とてもスゴイ人たちだったと思うようになります。
その「講」の1つに、『オイヌさまのお札』をいただきに
御岳山に詣でる御岳講というのがあるのですが、その御岳講を調べて行く中で、
山岳宗教に関連した里の人々と山の人々の暮らしや関係、
また野生動物と人々の関わりなどを彼女は拾って行きます。
これが本のタイトルの『オオカミの護符』と結びつくわけです。
興味のある方は本を読んで頂きたいと思いますが、
その中で私が興味深い考え方だなぁと思った事を
1つだけ紹介したいと思います。
彼女はこの『オオカミの護符』の取材の中で「べーら山」という
忘れ去られていた地元の言葉を思い出すのですが、「べーら山」とは
多摩丘陵の村々で開かれた「雑木林」を指す地言葉だそうですね。
全国区で通用する「里山」という便利な言葉を使ううちに
記憶の隅に追いやられてしまっていたと彼女は書いていますが、
この二つの言葉には概念的に違いがあるようです。
地元土橋では、ナラやクヌギなど薪にする木を「べーら」といい
それを生やした山を「べーら山」と呼んだとの事。
ちなみに、本の後書きでは全国から「べーら山」への反応があり、
その中には滋賀県では薪炭(しんたん)を採り、山焼きをする山を
「ほとら山」と呼ぶ地域があると報告があったそうです。
検索してみたら旧朽木村で今に伝えられている記事がありました。
「べーら山」は煮炊きの為の薪をとり、
堆肥の為の落ち葉を拾い、清らかな水を恵んでくれる命の山として、
神々が住む祠が祀られ、人々の祈る姿があったそうです。
ところで、神々はどこにでも祀られていたわけではないそうですね。
タケノコは貴重な現金収入源だったそうですが、そんな経済的な恩恵をもたらした
「竹薮」には神々を祀る祠は無いそうですなんですね。
その違いを解くカギとして哲学者の内山節(たかし)さんが語る
「稼ぎ」と「仕事」という二つの言葉が思い浮かんだのだそうです。
「稼ぎ」とは生活に必要な現金を得る為の労働であり
他にもっとよい収入があれば直ちに乗り換えてもかまわない。
それに対し「仕事」とは、世代を超えて暮らしを永続的に
つないでいくためのもの、という捉え方だそうです。
かつては村ばかりではなく、町場の商家や職人、町人の家や仕事場にも
「神々の居場所」が設けられていた。「仕事」とは、人の力のみでは
成就しないものだと考えられていたからだろう。
「稼ぎ」は人間関係の中で成立するが「仕事」は人のみではなし得ない。
こう考えると、現代の「仕事」の概念は、ずいぶんと変わってしまったことに
気づく。むしろ「仕事」だと思って行っている労働のほとんどは「稼ぎ」と
言えるかもしれない。
と、著者の美恵子さんは本の後半で書いています。
私自身も地方の集落で生まれ、
彼女の時代よりは若干近代化の波を被りつつも、
まだ昔ながらの風習の残る雰囲気の中で育ちました。
土橋集落の暮らしへの彼女の思いや感情といったものに
私も共感出来るように思うのです。
人々が生まれ育ち、そして死んでいく
繰り返しの中で受け継がれ、守られてきた集落の暮らしです。
受け継がれるとは、そこに構造があるということです。
「稼ぎ」と「仕事」という考え方に添って考えれば
仕事とは、言い換えれば「集落の構造」を
継承していく事でもあっただろうと私は思えます。
現在のまちの暮らしでは、そういった構造の枠に属さない人が
多数かもしれませんし、逆に集落の中で暮らしながら
そのような枠が煩わしいと思っている人も少なくはありません。
私自身も煩わしく思う事が多々あります。
けれども、そんな構造に支えられた集落という単位。
日本の歴史の中で継承され貫かれている一本の筋が
あるとすれば、集落こそがその筋だと思うのですね。
律令が崩れ、荘園領主、守護大名、戦国大名、藩主などと
幾度と領主が入れ変わり、市町村が合併し村や町の名前が消えても尚、
変わらずある共同体の単位が集落です。
都会の事は分かりませんが、何丁目自治会とかの単位でしょうかね。
視点を変えて、「オオカミの護符」を「鮒寿司」に置き換えてみると
同じように人間のみでは成し得ない自然の働きを
「鮒寿司」の世界に感じる事があります。
発酵という微生物の働きは勿論、鮒を育む琵琶湖や、
お米を育てる田んぼそのもがのが人間のみでは成し得ない
自然の働きによって恵みをもたらしてくれます。
それらは部分部分の話ではなくて、近江盆地全体の調和の上に
成り立つ自然の働きでもあります。
「琵琶湖の深呼吸」と言われていますが、
周辺の山々から冷たい雪解け水が琵琶湖に注ぎ、湖の深い所まで
酸素を沢山含んだ水を送り込むことで湖の生態系が保たれているといった、
まるで近江盆地全体が大きな生き物でかるかのような自然の仕組みです。
宗教観と科学というと、相反するような部分もあるのでしょうが、
滋賀という土地柄は科学的な理解が深まれば、より宗教的な感情も
深まるような、そんな土地の奥深さがあるような気がします。
その証拠といっては何ですが、
滋賀県は寺密度が最も高い県だと言います。
また延喜式に記載された神社の数も多い県でもあります。
それらは時の権力や権威によって守られてきたというよりは
集落の人々によって守り継がれてきたものでもあると思うのですね。
何かしらの大切な仕組みが「集落」の構造にはあるような気がします。
「仕事」から離れて、「稼ぐ事」に意識を集中するあまり
来るべき未来が思い描けなくなってしまっている、それが現在であるならば、
未来を切り開くヒントがこういった視点にあるような気がするんですけどね〜。
<内部リンク>
浅井郡とメコン川流域との接点、、、、
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「仕事」と「稼ぎ」の話から google検索 三方良しとは