2010年12月28日
(↓黄緑色の三角をクリックすると音声が流れます)
今年何度となく出掛けた湖北野鳥センター
今回はその野鳥センターの総集編ですw
より大きな地図で 鮒寿司の壁 マップ を表示
先日の日曜も三男は朝から観察会へお出かけで
私は二時に迎えに出掛けます。
丁度観察会が解散したところで三男と合流。
今日は山本山でオオワシを見たとの事で私も見たくなりました。
ということで、観察現場へ案内してもらいます。
<野鳥センターから見えた伊吹山>
三男は肉眼ですぐ発見しましたが、
私は指された方角を探してもなかなか見つけられません。
ようやく位置が分かって持参したコンパクトデジカメ最大ズームで撮影。
その内の一番ピントがあった一枚をデジタルズームしてみました。
遠すぎてどんな鳥か全然分かりません。肉眼では単なる豆粒ですw
<オオワシ初めて見ました>
その他にも、野鳥センターでは色んなものを見ました。
初めて出掛けた時はこんな感じです。3月の事です。
【湖北野鳥センター 散歩録(03)2010.03.06】
VIDEO
二回目に私が行った時はこんな感じ。
オオバンという鳥を初めて知りました。
実はひきがえるをじっくり見たのも初めてでした。
【湖北野鳥センター周辺 散歩録(17)10.06.27】
VIDEO
夏にはツバメの大群も目撃しました。
【北琵琶湖岸 ツバメの大群 散歩録(19)10.08.22】
VIDEO
ここから眺める晩秋の日没もなかなかなものですよ。
<日没と竹生島>
<琵琶湖の対岸に沈む夕日>
2010年12月24日
ジャジャ〜ン!!!
<(仮)鮒寿司アイスの試作品>
<実は二種類あります>
遡ること5ヶ月前、七夕の頃ですが、
浅井商工会の職員さんに連れられて
長浜バイオインキュベーションセンター へ
出向きました。
そこで、鮒寿司アイスのプランについて
相談したのが始まりでした。
それから、紆余曲折ありましたが
長浜バイオ施設内の星野科学 という
食品素材の開発されている会社と繋がりました。
<京都宇治にある星野科学本社>
まだまだ真夏日の続く9月の中頃、
京都にあります本社へ出掛け、社長さんと直接
「鮒寿司アイス」についてお話をしました。
<星野社長と打合せ>
実は、、、
星野社長は私が持っていた自作鮒寿司アイスを
試食され、製造レシピを読みながら
「う〜ん、、これはねぇ、、、」と
苦笑いされていたんです。
これはアカンかもしれんなぁ〜と思いました。
実際、それからしばらく事態が動かなかったのですが
11月の半ばになって、発酵飯を供給せよと、
急遽、商工会から連絡が入りました。
ちょっと無理をして発酵飯を商工会へ持参し
京都へ発送しました。
そして、また1ヶ月が過ぎ、
商工会から「鮒寿司アイスが届きました〜」と
連絡があり、商工会に向かいました。
早速、封を開いて試食をしてみることにします。
<商工会の職員さんがイメージした鮒寿司アイスの和風なディスプレイ>
試作品は2種類あり、一つは私のレシピをそのまま再現した製品と、
もう一つは星野科学の色んな技術を使って食感や味などを
更に洗練された仕上がりにした製品です。
私のレシピ通りの製品は手作り感を感じる、どちらかと言えば
野性味溢れる食感です。
片やアレンジされた方の製品は発酵飯のレアチーズっぽい
存在感は残しつつ、大人な感じの味に仕上がっています。
個人的な感想を言えば、もう少し甘みを抑えても
良いのではないかと感じました。
VIDEO
動画の中でも話していますが、発酵飯の大量供給が
課題なんですね〜。
もうひと改良して東京ビックサイトに臨みたいと思います。
<内部リンク>
東京ビックサイトへの展開の話はこちら ==> podcast 68 20万人が来場する東京ギフトショーに出店
個人の趣味から大きなイベントとなりつつある予感の話 ==> 鮒寿司〜の発酵飯をめぐる最近の活動
長浜バイオインキュベーションセンターへ出掛けた記事は ==> まさか自分が鮒寿司で研究所の門をくぐるとは思いませんでした
<外部リンク>
星野科学株式会社
2010年12月23日
私が暮らしている地域、滋賀県湖北地方 。
以前は何気なく往来していましたが、注意深く湖北三郡の
伊香郡 、浅井郡 、坂田郡 の地域性の違いを気にしながら
道路を走ったり、地図をみたりするようになると
ハハ〜ン!と分かったような気分になる事があります(^^♪
(別に地理的な発見があった訳ではないのですが)
<滋賀県北部の地形>
滋賀県北部の地形地図ですが、
ここに延喜式神名帳 で定められた神社の位置にピンを打ってみました。
延喜式神名帳とは927年に定められた全国の神社の一覧で、
延喜式内社、または単に式内社、式社と言われている、
一種のブランドですね。
その選定には当時の政権の政治色が強く反映 されている、
と言われてもいますが、ある意味千年前のタイムカプセル
みたいなもんだなぁと思うんですね。
<滋賀県北部の地形と湖北の延喜式内神社>
延喜式で定められた神社、近江国は155座となっています。
ちなみに、
1位 大和国 286座
2位 伊賀国 253座
3位 出雲国 187座
4位 近江国 155座
5位 丹波国 131座
6位 越前国 126座
7位 山城国 122座
8位 尾張国 121座
9位 河内国 113座
10位 陸奥国 100座
・
・
と、近江国は延喜式で定められた神社が多いのですね。その近江国の中では
1位 伊香郡 46座 (黄色いピン)
2位 高島郡 34座
3位 浅井郡 14座 (赤いピン)
・
・
9位 坂田郡 5座 (青いピン)
10位 愛智郡 3座
11位 神崎郡 2座
伊香郡、浅井郡ともに神社の数が比較的多いです。
逆に坂田郡は下位から3番目と少ないです。
<滋賀県北部の衛星写真と湖北の延喜式内神社>
衛星写真にしてみました。これは現在の開発された後の写真ですが
山や森の中にあるのか、田園の中にあるのかがよくわかります。
(千年前は田園でなく原野だったかもしれませんが)
いずれにしても、黄色いピンの伊香郡の神社の多さ が目立ちます。
千年前の政権に近い地域だったのでしょうか?
それと、やはり伊香郡の神さんは平地にも神社が分布していますが
山との関係が深い様に思います。随分山深くまで分布しています。
<賤ヶ岳から伊吹山方面>
賤ヶ岳の麓にある伊香具神社の鳥居の形は、
昔この辺りが湿地 であったのを表しているのではないか?
と言われています。
浅井郡は竹生島を軸に領域が広がっている との考え方がありますが
琵琶湖岸から東側の山の麓まで均等に神社の分布が広がっています。
その殆どが田園集落にある神社です。
<葛篭尾崎から伊吹山方面>
坂田郡は天皇家とは極めて近い関係にある息長氏の本拠地 ですが、
意外と延喜式に記載されている神社は少ないです。
これが定められた900年代は既に息長氏の影響力は
無かったか、逆に敢えて無視されるような存在だったのでしょうか?
それと坂田郡内は2〜300m級の里山が散在 していますが
北隣の浅井郡とは若干風土が違うように思います。
VIDEO
それから、
今の長浜市街地に全く延喜式内の神社が無いのが面白いです。
千年前の長浜市街地はどのような場所だったのでしょうか?
神社を起点に物を考えてきましたが、
神社がそこにあったという事は、その近くに人の営みもあったでしょうし
人々の暮らし方は、その地域の地形に影響されてもいたでしょう。
ざくっとしたジャンル分けですが、
伊香郡 = 山岳地域に適した生活
浅井郡 = 農耕を主にした生活
坂田郡 = 農業と里山を組み合わせた生活
というような事が特徴付けられる様に思います。
ああ、そういえば伊香郡域と、坂田郡域では
大きな木そのものを神域として祭る野神信仰 があるようです。
山や森に親しい宗教だと思いますが、浅井郡域では
馴染みが無いように思います。逆に山の宗教とは
別の影響を受けていた地域柄だと思います。
<旧伊香郡 高月町柏原の欅>
900年代に規定された神社と地形からだけの推論ですが、
浅井郡の稲作に適していた地域 の特徴が千年前に既に
出ていたではないかなぁと思うのですね。
しかも神社の数の多さからして当時の政権とは何らかの形で
友好な関係にあった地域ではないでしょうか?
もしくは、一目置く神さん、またはその神さんに関連する
氏族がいたのかもしれない地域だったのかなぁと思います。
とは言いつつも、では具体的に何氏とか何族とか
人に繋がる痕跡が残っていないので謎なんですが、、、、。
この辺りの話はまだまだ不勉強ですので
曖昧な事が多すぎますが、
山に住む民と、淡水漁業と農耕を行う民の
宗教的な特徴の違いはある様に思いますね。
妄想話の域を出ませんが、琵琶湖と稲作地帯 と言えば、、、、、、、、
もちろん鮒寿司との関わりも、、と妄想が広がります。
東南アジアメコン川流域の農耕儀礼 と
浅井郡(浅井町)の農耕儀礼との類似性を
研究されている方がおられますが、この地域には
古墳時代よりも以前に、東南アジアから稲作と
淡水魚業、それにナレズシの製造技術 を携えた
人々が定住していたという仮説はエキサイティングですね。
2010年12月19日
(↓黄緑色の三角をクリックすると音声が流れます)
地元では来年のHNK大河ドラマの集客効果に標準を合わせ、
博覧会を開催する実行委員会が立ち上がったり、
土産物センターが建設されたり、
商工会員が出資してまちづくり会社が設立されたり、、、、
それらにも(ドップリではありませんが)私も関わる事になりまして、
来年1月15日のオープニングに向けて事が忙しく動いている、
そんな状況です。
なかでも、土産物センターの「浅井物産館 」は当初予定されていた
建設予算が半減してしまうという異常事態になってしまったのですが、
そんな中、店の運営責任者の山崎君 が10月くらいから殆ど休日無しの、
しかもいつも目が腫れぼったく充血しているような状態で、
来年1月15日の開店に向けて準備を続けてきました。
この事業に関わっている担当の商工会の前川さん や
市役所担当課の野辺君 、また沢山の周りのスタッフも
仕事終了後や休日もボランティアで準備作業に関わってきました。
そもそも建物の建設費も足らないような状態でしたので
木材の塗装や建設時の人夫、それから完成時の掃除など全て
商工会の理事さんらが中心になってのボランティアででした。
私もこの事業に関わっている一人ですので、
昨日土曜の晩から準備作業の手伝いに出掛けてきました。
商品を陳列する棚を買う予算が無いということで、全て手作りです。
<連日、夜遅くまで準備作業を続ける山崎君>
私は、「全国展開プロジェクト 」に関わっている関係上、
2月一杯は試作品間での段階で商品があっても販売はできないのですが
自分の商品が棚に並ぶのをイメージしながら作業をしました。
こんなに沢山の人がボランティアで関わっている事業ですから
来年は良い経済効果 が生まれるといなぁと思いますね。
<商品棚の組み立てボランティア作業を行う前川さんと野辺君>
12月 19th,2010
12 音声でも聞いて頂けます | tags:
おみやげ館 ,
ふなずし ,
ふな寿司 ,
フナズシ ,
ブログ ,
ポッドキャスト ,
浅井 ,
浅井おみやげ ,
浅井三姉妹博覧会 ,
浅井物産館 ,
発酵した飯のアイス ,
発酵食品 ,
鮒寿司 ,
鮒寿司アイス |
No Comments
2010年12月18日
前回の記事<ペルーの日系三世との文通 >の続きです。
ワカバシさんから初めて届いた英文メールでは
彼が三世でありながら鮒寿司を食べた経験があるこことや、
また現在の率直なペルーでの鮒寿司の印象など語られていて
とても興味深いものでした。
Thursday, May 21, 2009
Dear Tomioka-san:
Many thanks for your reply in English. I think that your
English is very good. Please dońt worry.
I learned about funazushi many years ago in 1983 when I visited
Shiga ken for first time. My friend́s mother gave me 2 or 3 pieces of
funazushi and frankly speaking I did not like it very much.
The taste was very strange and strong and I ate it directly without rice nor hot water.
However I learned that funazushi as a traditional meal of Shiga ken.
After this first bad experience I never tried to eat funazushi again.
I was living in Japan from 1996 to 2003 in Tokyo and during this period
I never found funazushi in Tokyo area.
As we have cable TV here in Peru (NHK in the sole Japanese channel
that we can watch here) we watched a TV program about funazushi,
The place of the program was Shiga ken in a place that Funazushi was
very famous and I looked for first time that funazushi had to be eaten
together with hot rice and covering everything with hot tea
(I can not remember if it was hot tea or hot water) then I understood
that the way that I made to eat this funazushi the first time was wrong
and may be for this reason my sensation about the taste was not good.
At present, we have round 30 families of descendants from the immigrant
that came from Shiga ken 110 years ago. The sole issei has 93 years old
and may be nobody have heard about funazushi. We understand
that FUNA is a typical fish that only live in BIWAKO, is it right this idea?
Waiting for your comments.
regards
<Email>
英語でのご返答大変感謝します。
あなたの英語は大丈夫ですよ。心配しないで下さい。
私は随分昔になりますが1983年に、鮒寿司について知りました。
初めて滋賀県を訪れたときの事です。友人のお母さんが2、3切れの
鮒寿司を出してれて、気さくに話しかけてくれました。
でも私は全く好きになれませんでした。とても奇妙でクセの強い味で、
私はご飯やお湯無しで食べました。鮒寿司が滋賀県の伝統的な
食べ物である事は学んでいたのですけどね〜。
この最悪の初体験 の後、私は二度と鮒寿司を食べようとは
思いませんでした。私は1996年から2003年まで東京に住んでいました。
けれどもその間、東京では鮒寿司を見る事は一度もありませんでした。
ペルーのケーブルテレビで、鮒寿司の番組を見ました。
(ここで唯一見られる日本のチャンネルのNHKです)
番組が紹介する地域は鮒寿司がとても有名な所、滋賀県です。
私はその番組で初めて鮒寿司を暖かいご飯と共に熱いお茶を
たっぷり注いで食べるものだと知りました。
(私はあの時のものが熱いお茶だったかお湯だったか覚えていません)
それで初めて鮒寿司を食べた時の食べ方が間違っていた事を知りました。
そして、それが美味しく思えなかった原因なのかもしれないと思いました。
現在では、110年前に滋賀県から移民 としてやって来た子孫の30世帯 が
暮らしています。ただ一人存命の一世は93 才 で、鮒寿司のことを聞いた事が
ある者は誰もいないように思います。私たちは「鮒」が琵琶湖だけに
生息する魚だと理解していますが、それは正しいですか?
あなたの返事をお待ちしています。
英語と言えども話題が超身近なものでしたので
理解するのは難しくありませんでした。
が、え〜〜〜!!これに返事を書かねばならんのか!
何とかweb翻訳と英語が出来る知人のサポートを受けつつ
かなりディープな返事を書き上げました。
続きはこちら ===> Wakabayashi-sanとのメール
<内部リンク>
ペルーの日系三世との文通