podcast 60 水陸両方=鮒&米を意識した地名

2010年11月22日

(↓黄緑色の三角をクリックすると音声が流れます)

今回は先日配信しましたメルマガの記事について
メールを頂き、その返事を書いている時に
気が付いた事を書きたいと思います。

頂いたメールはこんな内容でした。

「彼女の母親の入籍前住所の欄に「竹生村(ちくぶむら)」の
文字が見えたのです。竹生とは竹生島の村です」

という部分はこの村の成り立ちからいうとおかしいのでは?
というメールでした。

私は漠然と、自分の住んでいる集落でも鮒寿司は、
ごく普通に漬けられていたものと思っていました。
しかし、色々人と話をすると近所の年配の人でも
漬けた事が無い人も沢山おられて、鮒寿司が
ごく普通の料理という訳でもないらしいのですね。

では、なぜうちは鮒寿司を漬けていたのか?という事になるのですが、
そのルーツの答えが竹生村という文字に見えたような気がした、
という事をメルマガで書きたいと思いました。

<話している内容の地図>
<話している内容の地図>

伊吹山の水を集めて流れる川を姉川といって
姉川は伊吹山を下って琵琶湖に向かって西に進み琵琶湖の河口手前で、
滋賀県の北側の山々から水を集めて南下してきた高時川と合流します。

この川が合流して時に反乱しつつも肥沃な穀倉地域が
今の長浜市内のうち旧びわ町と呼ばれた一帯でした。

そのびわ町の前身は明治の廃藩置県によって整理されて
南側の地域を大郷村、北側の地域を竹生村とされていましたが、
戦後この二つの村が合併して出来たのがびわ村になり、
更にびわ町になりました。

とってもローカルな話をしていますが、
お分かり頂けますでしょうか?

さて、その竹生村の名前にも表されている竹生島ですが、
これは私の中ではまだ妄想の域ですが、
この島はこの明治以前に呼ばれていた旧浅井郡
これは律令制が始まった頃から存在する郡ですが、
この地域一帯の要の島でもあると思っています。

この浅井郡の場所ですけれども、琵琶湖に浮かぶ竹生島から
みて北側の陸地と東側の陸地が両域でした。
竹生島から見て東北の方角は伊香郡と呼ばれ
別地域になっていました。

島にある竹生島神社(都久夫須麻神社)の御祭神は
浅井比咩命(浅井姫命)です。

浅井郡の両隣、東北部側を伊香郡、東側を坂田郡といいますが、
それぞれの郡には伊香連坂田氏などの律令時代以前からの有力豪族の名
が残っていますが、浅井郡にはこの地域を支配していた
有力な豪族の痕跡は残っていません。

この浅井郡がどうして東西に別れてるのか?の疑問については
長浜市の文化財保護センターで伺った話では、

律令時代のこの地域は当然水陸両域が郡域で、
今の時代の視点で陸だけを意識すれば分割されているが、
昔の暮らしの視点で水陸両方を意識すれば一つの地域だ。
その要が竹生島だという考え方は間違えではないと思う
といった話をされていました。

つまり、浅井郡は水域と陸域を合わせて浅井郡であるということで
ちょっと他に例がない珍しい地域です。(私が他の例を知らないだけ?)

そのような水陸両域を意識した地域、
これは置き換えれば水産物と陸産物とも言えますが、
この両方の恵みの多い地域とも言えます。

の恵みの代表する食べ物となれば、それはお米となりますし、
それらだ合わさった象徴的な食べ物が鮒寿司と言えるように思います。
当時貴重な動物性タンパクの長期保存にはお米が必要でした。
漁獲量が多くても穀倉地帯でないとそのタンパク源の保存は不可能です。
その意味でも湖と陸の両方の恵みがあってこその鮒寿司と言えます。

つまり竹生島(御祭神浅井姫命)=水陸両域を浅井郡と成す要の島=
水の恵み(鮒)+陸の恵み(米)=鮒寿司

これらが密接に結びつくというのが私の妄想です。

話を元に戻しまして

竹生村の由来を調べていましたら、『滋賀県市町村沿革史』という本に

~ 富田村ほか10ケ村の合併案については、何ら反対意見なかった。そこで
県は、「従前早崎村ノ付属ナル」「湖上ニ孤立スル竹生島・・・ヲ・・・
本村ノ付属ト」し、その名を採って新村名とした。
 ~

との記録があります。
これは竹生島が支配するとか、領有する意味での竹生島の村という意味ではなく
新しく村の名前を付ける時に、この地域を象徴する名として村の名に
竹生島を掲げたという意味で竹生島の村と言えるのではないか?と
思ったのですね。

そこから、
「彼女の母親の入籍前住所の欄に「竹生村(ちくぶむら)」の
文字が見えたのです。竹生とは竹生島の村です」
というメルマガの文に
繋がっていきます。

私のルーツの一つが竹生村にあり、私が鮒寿司にこだわる
理由を強引に結びつけてみよう!と思った次第なのですね。

妄想が先走ってうまく説明が出来ませんでしたが、
言いたかったのはこんな事なのです。

ちなみみこの竹生村と大郷村が合併してびわ村になる
経緯ですが、ここでも『滋賀県市町村沿革史』によると

〜 新村名「びわ」は村の位置が「琵琶湖畔にある為に豊穣なる土地、
多量の漁獲物等、全く琵琶湖に生きる事の多い意味で」選定されたが、
当用漢字になく、かつ書きにくいためにひらがなにした
 〜

とあります。

琵琶湖に面した地域で稲作の穀倉地域とされる場所は
滋賀県内他にも沢山ありますが、これほど水陸両方の恵みを意識して
地名を名付けたというのも、なんだか象徴的な意味あいが
ありそうだなぁと思ってしまいます。

といことで、今回はとてもローカルな話ですが、鮒寿司に関連して
湖と陸の両方の恵みを意識した地域について話をしてみました。

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