浅井=鮒寿司の妄想 「浅井」探し、取りあえずの終結 その2

2010年5月19日

「浅井=鮒寿司の妄想 「浅井」探し、取りあえずの終結 その1」
の続きです。

4月30日、マハーサラカーム大学で
農耕儀につて研究されている高良さん
地元浅井の生産農家の長老(もうすぐ90歳)の伊藤さん
話を伺うという場に、私も同伴させて頂く事になりました。

伊藤さん宅に伺い、自己紹介とお時間をいただいたお礼
そしてお話を伺いたい経緯をお話ししました。
対応された伊藤さんは現役の生産農家で会話のテンポも速く
とても90歳になられるとは思えません。

お二人に断った上で、高良さんが伊藤さんに
聞き取り調査をされる前に、時間をいただいて
私が高良さんに質問を伺うことになりました。

東浅井郡志」という本に浅井の言葉の由来を稲作の
伝播と共に、東南アジアから伝わったという説があり、
それは「アシ・アヒ」「アシ・アヘ」が転じてアシャイとか
アシャへになって、アサイかアザイへと変わっていたのではないか?
という説を書いています。

さらにその本によるとビルマ、タイ、マレーシアでは
「アシ・アヒ」は稲を植える。「アシ・アヘ」は青稲、青田の
意味があるのだと書いてあります。あくまで仮説です。

しかしそう考えると、今ひとつ不明だった2つに分かれた
浅井郡が実は湖と共に一つのエリアとして認識され、
メコン流域の様な風景として
農耕と漁業も豊かなイメージ
伴って浅井と呼んだとすると、とてもロマンがあるのですが
いかがでしょうか?

というような内容で質問をしました。
(もう少しもったりとした、時間のかかった質問でしたが)

そうしますと、高良さんは

タイ語で稲作に関連してそのような言葉は知りません。
稲はカァ〜オと言います。それに東南アジアの稲作の
ルーツも
雲南省からと言われていて、日本の米も雲南省からと
言われています。あと「あざい」のような濁点の混じる言葉は
タイやラオスにはありません。近そうな言葉も思いつきませんね〜。

と、お話しされました。
あっけなく大変残念な結果になってしまいました。
そしてふと思いだされて高良さんは

北陸にアイノコとかアエノコとかという稲作の儀礼がありますが
そういた言葉との関連はどうなのか?と思いましたが、

と私に宿題をくれました。また、ビルマ語をやっている
友人もいるのでまた聞いてみますとも言って頂き、
更に以下の様な事をお話しされました。

稲の伝播については、ただ種だけが入ってくるとは考え難く
人も随分入っているのは確かだと思います。何故かと言えば
祭りの形態とか信仰がタイなどと同じなんです。
ほんとに全く一緒というくらいに、田んぼにも神さんがいるし、
稲の中にも神さんがいます。そういう考え方が凄く似ています。

そしていい場所を探して、住み着いたのが邪馬台国である
とかも言われています。稲作は縄文時代後期にはあったらしく
さらに弥生時代に朝鮮半島から高度な技術を持った人が入ってきたと
言われています。両方から来たのは間違いないですね。

ですから、浅井という地域は縄文時代から米が出来るいい地域だと
言われていた、というのは可能性としてはあると思いますよ。

私が研究しているのは農耕儀礼です。
タイの東北部とここ浅井地区の農耕儀礼の比較をしています。
ですから私がここを選んでいるのは何か繋がりがあるから
なのかもしれないとは感じていますね。

と、お話しされました。
浅井という名については関連性が見つけられませんでしたが
稲作の精神性というところでは何らかの繋がりを高良さん自身が
感じておられるというのは面白いですね。

予定より、随分と時間を取ってしまい申し訳なかったのですが
その後、この地域の昔の話についって高良さんから伊藤さんへ
話を伺う様な形で、私も同伴して興味深い話を聞かせて頂きました。

神社を通して春・秋の祭り、新嘗祭、そして湖北独録の「おこない」、
それくらいは知っていますが、昔の年間を通じた様々な農耕儀礼
その殆どを私は知りませんでした。

そして、なんの淀みものなく、すらすらと語られる伊藤さんにも
驚きでした。

<高良さんと伊藤さん>
<高良さんと伊藤さん>

だめ押しの、その3に続きます。
==> 妄想終結 時間を超えた湖と陸の恵み〜鮒寿司

<内部リンク>
浅井=鮒寿司の妄想 「浅井」探し、取りあえずの終結 その1

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