身近な場所でこそ、祈る

2011年9月17日

子供の頃から神社やお寺の空間の雰囲気が好きでしたが、
自分を信仰心があつい人間だとは思いません。
信仰心というより、そういった場所が自分の家とは違って、
何だか得体の知れない雰囲気だったから、
興味を惹かれていたように思います。

特に集落の中にある神社は子供の頃の遊び場所でもありました。
玉垣に囲われた中の本殿はどんな風になっているんかな?
賽銭箱の中のお金が気になるなぁ〜。

<普段は戸が閉まっている拝殿>
<普段は戸が閉まっている拝殿>

そんな子供の頃は遥か昔、
今では正月の初詣にお参りする程度の疎遠ぶりでしたが、
今年は神社役員が回ってきて、普段より
神社と身近な付き合いをさせて頂いております。

先日は秋祭りでした。
堅苦しい言い方では秋季例祭と言うそうです。
9月半ばとは思えない暑さの中、
礼服を着て拝殿にあがってきました。

<拝殿へ上がる>
<拝殿へ上がる>

祭儀終了後のナオライ(食事)の席で
神社総代さんが以下のような話をされました。

近年は品種の改良で早い物では8月から
稲の刈り取りが始まっていますが、
ほんの数十年前までは、9月半ばでは
まだ稲刈りは始められませんでした。

秋祭りを終えて、しばらく後で五穀、
特に大事なお米の収穫を迎ええるわけですが、
このの時期は台風が来やすい時期でもあります。

台風などの災害に合わずに、無事収穫を
終えられますようにと祈るのが秋祭りです。

先週の台風12号では三重、和歌山では
大変な被害に遭われました。収穫前のお米も
被害にあっています。

幸いこの地域は大きな被害もなく収穫を迎えています。
その事を感謝すると同時に、被害に遭われた方々のことも
思いはからなければいけません

というような話でした。

<祭儀終了後>
<祭儀終了後>

実際は論路的思考や科学的判断が防災への
具体的な対応へと結びつくと考えるべきでしょう。
しかし、自然の力は人間の力を遥かに超えています。

何千年の歴史の中で積み上げてきた人間の技術など、いかほどの
抵抗にもならない事を、時に自然はこれでもかと見せつけます。
先日の台風や地震など、自然の巨大な力を見せつけられると、
人間のできる事は祈るしかないのかと思えてきます。

最近は国でさえ防災から減災へというような事を言っています。
完全には抗し得ない(安全神話はありえない)自然に対して
行動を起こすベースに、祈りの心を持つ事が
より大事になるのだろうなぁ〜と思えます。

<灯明>
<灯明>

さて、
私の町の神社はそう古くはなく、1324年の創立との
記録があるそうです。これといった特徴もなく
ごく平凡な氏神さんです。

お供え物は鏡餅、神酒、塩、米、スルメ、
昆布、それから鯉がありました。後お菓子や果物など。

鯉は祭儀終了後のナオライ(食事)の席で刺身として出されました。
この鯉の刺身が甘くて美味しかったのが驚きでした。
鯉の刺身を食べる機会はあまりないので、それはそれとして
興味がありますが、話をお供え物の魚に戻します。

既に何度か述べていますが、滋賀県内の神社では
お供え物として鮒寿司などナレズシを備える神社も
少なくはありません。

祈りの場である神社と鮒寿司の接点は何なのだろう?
神社総代の話と供え物の鯉を見て思いました。

きっと何か大きな意味があるに違いありません。
意味、それは壮大な物語の痕跡かもしれない、
そんな妄想を感じた秋祭りでした。

<もうすぐ収穫>
<もうすぐ収穫の稲穂>

 

<内部リンク>
浅井郡とメコン川流域との接点、、、、
鮒寿司を供える神事 下新川神社「すし切り祭り」に健康長寿への願いを感じました

<参考文献>
フナズシに対する琵琶湖文化史的考察 大沼芳幸

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