今年はすし切り祭りには行かなかったのです。

2011年5月6日

<昨年のすし切り祭りの様子>
<昨年のすし切り祭りの様子>

鮒寿司のブログを書いている者としては
5月5日に開催される守山市幸津川の「すし切り祭り
これは行くべき祭りであるとは思いますが……、

今年は行きませんでした。
(昨年のすし切り祭りの記事は末尾にリンク
貼ってますので、良かったらクリックして下さい)

その代わりといっては何ですが、5月3日に
その近所の東光寺へ子供と一緒に行ってきました。

<守山野外美術展の会場 東光寺>
<守山野外美術展の会場 東光寺>

なぜ東光寺へ?
このお寺では5月1~5日まで例年m-fat(守山野外美術展)
開催されています。私は昨年初めて行きましたが、
初心者?にも敷居が低くて参加型の面白い美術展だな〜と
思ったのですね。

特に昨年はコミュニケーション(伝達、情報、共感)について
色々と考えさせられるといいますか、示唆を受ける
パフォーマンスを見ましたので、今年は子供と一緒に
行ってみたいなぁと思っていたのでした。

欲を言えば5日にすし切り祭りと守山野外美術展の
両方を見られれば良いのですが、あいにく5日は
子供の都合が悪かったので、このような経緯になりました。

<昨年の守山野外美術展の様子の一部 三原さんのパッケージタワー>
<昨年の守山野外美術展の様子の一部 三原さんのパッケージタワー>

さて、私が色々考えさせられたといいますか、
示唆を受けたパフォーマンスについて
お話をしてみたいと思います。

パフォーマンスの演者は犬飼美也妃さんという
行動」をテーマに活動をされている方です。
芸術・美術を言葉で説明するのは難しいですが、
昨年の内容は言葉にするとこんな感じです。

犬飼さんは予め幸津川地区の人に呼びかけて古着を集めます。
当日はその古着のポケット部分だけを張り合わせた
ポケットだらけの衣装を着てパフォーマンスをします。

彼女はパフォーマンスを始める前に
私は私のポケットに、人に手を入れられるのがあまり好きではありません。
これは多分共感してくれる人は多いと思うけど、今日はポケットに
手を入れるくらいのコミュニケーションをしたいと思います。

というような事を話しました。

<あなたのポケットに手(?)を入れてもいいですか>
<あなたのポケットに手(?)を入れてもいいですか>

そして、ポケットと犬飼さんの行動が触媒になって
時間と空間を超えて人々が繋がっていくさまを
私は感じたように思ったのです。

ポケットに互いに手を入れ合う行為で人々が繋がっていったり、
中に入っている物(予め仕込まれたメッセージやお菓子)を通じて
インターネッットの中の人とお寺の境内に居る人が
繋がったりなどしていきます。

その繋がり方が犬飼さんの人柄というか
女性らしい柔らかい感じがして面白かったのですね。

私はコミュニケーション(通信、メッセージ、手紙)を考える時
言葉とか文章で自分や相手の考えを理解しようとします。
そして、一旦コミュニケーションを言葉で理解したと思うと、
却ってその一貫性を守ろうとして、違う側面や
別の解釈に気が付かなくなる事が多々あります。

自分が普段行っている行動というのは、無意識の行動
沢山あるのですが、その行動を意識的に行う場面があると
言葉や文章とは違った手段でコミュニケーションがわかることも
あるのではないかなぁ〜と、そんな事を思ったのです。

<ポケットを触媒に繋がっていく人々>
<ポケットを触媒に繋がっていく人々>

今年はどんなパフォーマンスがあるのだろう?
それから私の子供はどんな風に感じるのだろう?
そんな楽しみがあったのですね。

その今年はどんな事がなされるのでしょうか?
私たちがお寺で幾つかのアートを楽しんでしばらくすると
犬飼さんが境内にいる子供達を呼び集めました。

そして、まず折り紙を縦に四つ折りにして自分の
好きなもの・大事なものを4つ書きましょうと言います。

私の長女は一義的な答えが出る問いについては
割と即答できますが、多様なものから選び出すのが苦手です。
四つ書き出す事がなかなか出来ずに困っていましたが、
犬飼さんのフォローもあって書く事が出来ました。
三男は逆にサクサク書いていきます。

<大切なものと未来の自分?>
<大切なものと未来の自分?>

四つ書けたら、十年後の自分を思い浮かべます。
十年後には長女は十八歳です。

その時が来たら、四つの内一つ捨てなければなりません、
何を捨てますか?捨てるものをはさみで切って下さい。

そう問われて、少し悩んで1つ捨てました。
そして二十年、三十年後を思い浮かべ、
その度に一枚ずつ捨てていきます。
残った一枚は「家族」でした。

さて、30年後の彼らはどんな暮らしをしているのでしょうか?
私はチラッと子供達の三十年後が垣間見えたように感じましたが
本人達は自分の未来を感じる事が出来たでしょうか?

えっ?私の三十年後の姿?
七十代前半のおっちゃんが好きで大事なもの三つ捨てて
残す一枚は…う〜ん…「   」かな…。

あなたはいかがですか?

この「  」がハッキリわかる人は
迷わず良い人生が送れそうな気がしますがいかがでしょうか。

え〜……、今回も直接鮒寿司とは関係ない話でした(汗)。

<内部リンク>
寿司を供える神事 下新川神社「すし切り祭り」に健康長寿への願いを感じました

<外部リンク>
・開催期間中の様子を紹介した動画もあります。 ==>  m-fat
(気付かないうちに、あんかけうどん食ってる姿が動画に映っていました(^^ゞ)

Comments (1)

高原正成5月 8th, 2011 at 3:30 PM

 中学生のころを思い出して、小生は未来は現実にかぶさる形でしか、描けなかったことに気がつきました。
遠大な、野球選手とか、大芸術家・・・ではなかったようで、目の前の、あれを僕ならこうるだろう・・・といった事を考えていたようです。
 基本的に、現在も、大きくは変わりません。したがって、現在の小生の大事なものが、10年後など持続しているとは思えないのです。
 30年後、実は97才・・・生存率さえかなり低い。
 しかし、一面を思うなら、今やりたいことがあるのは(自分には)良い事だ(ろう)と思います。今の自分が出来る事とやりたい事を基本に置けば、視野は(自分なりに)かなり広く使えそうです。    高原でした

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