二兎を追うものは・・・実は一兎(鮒寿司)だった?

2010年4月30日

私は3年前より、新たに地元の祭りの象徴となるような
コンセプトを探れ!と命を受けて、
「そんなもん分かるかいな」と思いうつつも
図書館で色んな歴史的題材を調べたり、
市の博物館へ問い合わせをしたり、
あちらこちらに出かけたりしながら
象徴となるような事象を探していました。

そういう事をするのは、それなりに楽しい事ではありましたが、
専門家でもないですし、技術や知識がある訳でもありません。

ただ、それなりに色々探していますと、やはり「浅井(あざい)
という地名が何だかとても秘密めいた魅力を醸しているような
気になってくるのですね。

「浅井」って何を表しているのだろう?
東西に分裂した地名だし、5〜6世紀にこの地域に
大きな勢力、豪族がいたような記述あるとは知りません。

ちなみに、滋賀県内の旧郡地域名
伊香郡、坂田郡、犬上郡、愛知郡などなど
また集落名の多くに、豪族に由来する
地名が沢山あるようです。

専門家の方に伺うと
「そんなもん分からん!」とつれない返事です。

そんな中ではありますが、図書館で地名辞典などを
調べていました。そして名前だけは知っていた『東浅井郡志
という本を読んでみようかと、ページをめくってみたところ
昭和2年の当時、同じように不思議だなぁと思っている
編纂者のコメントが載っているのに気がつきました。

<普段読まないような本もたまに読むと面白いカナ>

<普段読まないような本もたまに読むと面白いカナ>

思わず難しそうな文体のページを集中力を上げて読んでみたところ
東南アジアに「アシ・アエ」や「アシ・アヒ」という言葉があると紹介し
それが訛って浅井になったのでは?という仮説を上げていました。

アシャヘとかアシャイからアザイに変わっていたのでしょうかね。
それぞれの言葉に「青い稲、青田」、「稲を植える」という意味があり
稲作の伝播と共に東南アジアから人が渡ってきて、
稲作に適した良い場所だなぁと住み着いたのではないかと
推論しています。

以上の事は、他にそういった論をたてている人を私は知りません。
もし、おられるのであれば教えて頂きたく思いますし、
信憑性はこの際別にしても、この話とてもロマンのある話だと思いますね。

<竹生島・伊吹山の見える範囲と旧浅井郡の境界>

<竹生島・伊吹山の見える範囲と旧浅井郡の境界>

琵琶湖に挟まれた東西の地域はおおいに水と関係がありそうで
しかも稲作に適した実り豊かな地域であるよ!と古代人が喜んで
定住した地域であるならば、そこに住む子孫の我々は
この地域を今後も大切にしていかなければならないなぁと思えます。
より一層、地域名に愛着がわいてきますね。

そして鮒寿司について関連づけてみますと
東南アジア方面から鮒寿司も伝わってきたという事ですから
鮒の生息する、そして遡上して産卵する湿地帯や水田
その水田はとてもよく実る水田であって、その米と鮒で鮒寿司が作られ、
何千年とその技が伝わってきたとするなら、
「あざい」という名と「鮒寿司」は密接に関わり合っているなぁと
思う訳です。

この説を紹介した『東浅井郡志』の編纂者の黒田惟信という人は
どんな人なのだろう?そんな興味も一層大きくなり、
どこで問い合わせれば良いのか?と知人に相談したところ
それはやはり『教育委員会』だろうと教えて頂き、
教育委員会へ出向いて問い合わせをしたのであります。

ところが、現在は湖北全域が合併して一つの長浜市になった
教育委員会の窓口で、「『浅井郡』について関心があり
昔に編纂された『東浅井郡志』について解説して頂けるような
場所、人を紹介して頂けないか?」と相談したところ
ちょっと迷惑そうに、『長浜城歴史博物館』で聞いてくれという
回答でした。

そして、『長浜城歴史博物館』に問い合わせの電話をすると
ここもちょっと迷惑そうに『浅井歴史民俗資料館』を紹介してくれました。

「浅井」という地名は別に旧浅井町の区域の事でなくて
史実として旧浅井町から旧西浅井町までの範囲の「言葉」で
あったはずなのに全く関心のないような言いぐさに、
少しがっかりしながら『浅井歴史民族資料館』に
コンタクトを取るのでありました。

つづきの記事はこちら ==> 浅井という名を調べて三千里?

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