閉じられたクニ近江の東の門

2011年6月24日

先日名古屋の方へ出掛けてきました。
その話はまた別に書くとして、
今回は近江の国境について書きたいと思います。

<近江長岡と柏原の間>
<近江長岡と柏原の間>

東海道本線は東京から神戸まで繋がるJRの幹線ですが
滋賀県内も琵琶湖の東側を縦断していて
東は不破の関を越えて岐阜県へ、
西は逢阪の関を越えて京都へと繋がっています。

私は名古屋方面へ出掛けるときは
よくこのJRの在来線を使います。最寄り駅は
近江長岡駅になりますが、電車に乗って丁度1時間です。
(最近はレールを継ぐ技術が素晴らしくて電車が走っても
ガタンゴトンいいませんね!)

<東海道本線の車窓から>
<東海道本線の車窓から>

近江長岡、柏原、段々と山が深くなり、
そして県境を越えて関ヶ原と続きます。
この間は大昔からの関所です。

ちなみに、天武天皇元年(672年)に設置されたという三関は
不破関(岐阜へ)鈴鹿関(三重へ)愛発関(福井へ)の三関で
全て近江国の県境にあります。

関というだけあって山の谷間を縫う狭い地域ですから
現在でもJR東海道線、新幹線、国道21号、名神高速と
全て集ってきています。


より大きな地図で 三関 を表示

あ、それからここを走るJRの路線は東海道線ってなってますが
ここの路線は江戸時代には中山道、そのまた昔は東山道
よばれた街道筋にあたる所です。

奈良に都があった時代に奈良から三重へ直に抜ける東海道、
近江を経由して岐阜、長野へ向かう東山道が設置されました。
ですから律令による地域区分は東山道近江国となっています。

都が京都に移って近江国の草津宿で両街道は分岐するようになります。
明治になって鉄道が敷かれるようになると、当時、既に日本初の
鉄道連絡船が大津・長浜間で開設されていて、大阪・名古屋間の
往来にも利用されていた為に、この間だけ旧中山道を
経由することとなったそうです。

ややこしいですね!東海道!


より大きな地図で 鮒寿司の壁 坂田郡五座 を表示

そんな滋賀県内を走る東海道線ですが
岐阜への県境に向かい、幹線が集中してくる沿線に
長久寺という小さな集落があります。

滋賀県側の岐阜県と接する最端の集落で、
「木曽海道六十九次の内 今須」の絵にも描かれています。

<江濃両国境>
<江濃両国境>

現在はこんな感じです。

<現在の国境>
<現在の国境>

小さな溝を挟んで右が滋賀、左が岐阜です。
写真左端に電車の架線の上の部分だけが見えますが
溝の向こう側の一段低い位置に電車が走っています。

ですから、車窓からは見る事が出来ません。
ああ、この辺りを通っているなぁ〜と
想像するのみです。

現在は閑散としたもの寂しい場所ですが
ここは「寝物語の里」と呼ばれ、
山間にあってもちょっと賑やかな所だったようです。
当時関西圏で流通していた銀、関東で流通していた金の
両替え等もあったようです。
司馬遼太郎の『街道をゆく』でも紹介されています。

<寝物語の里>
<寝物語の里>

今の携帯電話にはGPS機能が付いたものも珍しくはありませんし
電車に乗りながも位置情報は確認できます。

滋賀を旅しに来られる方々、
新幹線でド〜ンと米原駅へ着くのも良いですが、
たまには鈍行も良くないですか?

そう、それからこの辺りを過ぎ、トンネルをくぐり、
新幹線の線路を横断し、国道21号と並走するようになると
右手21号線の向こうに竹林が見えてきます。
その辺りが旧不破の関があった辺りです。

この辺りカーブが多いので電車はゆっくり走ります。
上に設置した長久寺が載った地図を線路沿いに
動かしてみて下さい。

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