等身大って size of body ではなく size of life なのだ

2011年5月25日

先日聞いていたpodcastで語られていた言葉です。
その番組はWorldShift Radioという番組で、その番組の中で紹介された
木内孝氏(株式会社イースクエア代表取締役会長)の言葉です。

先日行われていたWorldShift Forum 2011という
フォーラムで講演されたときの言葉だそうです。

確かに等身大の英訳は life size で body という言葉は使わないようです。
けれど、日本語だけを使う環境では等身大といえば
物理的な大きさを表す言葉だと理解されているでしょう。
実際の人間と同じ大きさの彫刻、物語の設定上と同じ大きさのガンダム、
等々、イメージされるのはbody に関連しての意味合いです。

( Photo by (c)Tomo.Yun )
( Photo by (c)Tomo.Yun )

英語での life size が日本語の等身大という言葉で感じる
物理的な意味合いと同じなのか?または文字通り
そこに命とか人生などの意味合いを含んだ言葉なのか?
私にはわかりませんが、日本人でもライフサイズと表記すれば
その言葉に命とか人生の意味合いを感じ易いと思います。

予断ですが、 life size の日本語はどちらかと言えば
「等身大」というより「身の丈」の方がぴったりのような気がします。
違うかな?

それはさておき、これからは「等身大」という言葉は
キーワードになって行くと思います。

今回のとても大きな災害や原発の事故は、
人間の制御力を超えてしまいました。
人間の等身大を超えた災害や事故でした。

そして、超えてあっちに行ってしまったのではなく、
個人個人の暮らしに直結した、より深刻な問題として返されました。

( Photo by (c)Tomo.Yun )
( Photo by (c)Tomo.Yun )

life にはリスクが付きものです。
時には回避できず傷を負う事もあります。
でも修復可能なリスクなら恐れる事はありません。

しかし、修復不可能な傷を負うようなリスクには
近づかない方が良いかもしれません。
良いかもしれないではなく、近づいては行けません。
修復不可能=死に至ります。

一個人が自分自身の危険を判断する、または
その場をイメージするのはそう難しい事ではありません。
でも集団となると修復可能か不可能かの判断が鈍ってしまうようです。

( Photo by (c)Tomo.Yun )
( Photo by (c)Tomo.Yun )

何が欠けているのか?
集団の等身大 (life size) を測る道具?

先日見ていたUstで参議院行政監視委員会が放送されていました。
その中で小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)が
最後の発言としてガンジーの言葉を引用しました。

〜最後になりますが、ガンジーが7つの社会的罪ということを言っていて、
彼のお墓にこれが碑文で残っている、のだそうです。

1番始めは「理念なき政治」です。
この場にお集まりの方々は政治に携わっている方ですので、
えー、十分にこの言葉をかみしめて頂きたいとおもいます。

そのほかたくさん、『労働なき富』、『良心なき快楽』、『人格なき知識』、
『道徳なき商業』。これは多分、東京電力始めとする電力会社に私は当てはまると思います。

そして『人間性なき科学』と。これは私も含めたアカデミズムの世界が
これまで原子力に丸ごと加担してきたと、いうことを私はこれで問いたいと思います。

最後は『献身なき崇拝』。宗教お持ちの方はこの言葉もかみしめて頂きたいと思います。
えー終りにしますありがとうございました〜

こういうのは総称すると哲学とか思想というのでしょうけど
それを阻むのは人間の等身大と無縁な法の壁とは暴言でしょうか?

え〜…今回も鮒寿司に関係ない話を〜
でも壁の話を書いてみました(^^ゞ

 

<引用外部リンク>
podcast WorldShift Radio 5月22日
参議院USTREAM中継 脱原発への道 1/2

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