自粛とはなんぞや

2011年3月17日

滋賀県は昨日からまた雪が降りました。
積雪の量はしれてますが、景色は冬に逆戻りです。
それでも春は確かな歩みで近づいています。
自然の力強いメッセージを感じますね〜。

<来月中頃にはチューリップが咲きます>
<来月中頃にはチューリップが咲きます>

今回は書きたい事は色々あったのですが、
書いては消してを繰り返して何日もが過ぎてしまいました。

私たちは個人の自由というものを大事にしながら
日々の暮らしを送っています。それと同時に、
社会の様々な人々との関係の中で生きています。
いやむしろ、生かされているという表現の方が
適切なのかもしれません。

今回の震災では、まだ予断を許さない状態が続いています。
けれども被害の全くなかった西日本に住んでいる私は
いつもと同じ暮らしを続けられています。

いつも通りに電力を供給し、物を作り、物を運ぶ、そんな
様々な生産やサービスを継続している人々がいて、そして
それぞれの人々が結びついているからこそ受けられる恩恵です。
私もその結びつきの一部です。

皮肉な表現ですが、「社会の一つのコマとしての自分を
実感できること」で得られる喜びがあるのだなぁと思います。

残念ながら、今その結びつきが大きく混乱しています。
批判を恐れず言いますと、「自粛」という行為は
その混乱に加担していると思います。

特に、皆がそうしているからとか、不謹慎と言われそうだからとか、
そんな空気を察して、でも実は具体的な理由もなく決定を下した
「自粛」は尚更です。

今は判断を下す責任ある立場の人々は腹をくくって
「通常通り」の決断を下すべきだと思います。
(原発については通常通りは別の話として(^^ゞ )

日本という大きな括りで話をするならば、今回の災害救助、災害復興には
膨大な資金と人力と物資が必要ですし、復興には相当長い期間がかかるでしょう。

それらの必要な物や人などの資源は普段の経済活動の中で
作られて供給されます。そして、それらは個々の活動は小さくとも
毛細血管の様なつながりの中で生み出される物だったりします。

さらには、長期戦になるであろう復興事業には
日本の経済活動全般の持続的な力強い支えが必要になるでしょう。

今あらゆる所で募金活動が行われていますが
これさえも長期戦となりますと、募金を続けるにも
募金を生み出すそれぞれの人々のの経済活動が
持続しないと続けられませんね。

だから、どんな些細な事でも人・物・金を回していく必要があると思います。
祭りは、やり方の工夫は必要かもしれませんが開催すべきです。
旅行にも行くべきです。外食もするべきです。娯楽も楽しむべきです。
それらは、何処かで災害救助・災害復興と繋がっていると思います。

「自粛」というやり過ごす態度ではなく
正面切って応援していく態度が大事かと思います。

また特に地域のイベントであるならば、こういう時にこそ
地域の人々とのつながりを作る切っ掛けに利用すべきだと思います。
いざという時はやはり近隣の助け合いです。

皆さんはどう思われますか?
今回は、全然鮒寿司とは違う話を書いてしまいました(^^ゞ
けれども、身近な所で自粛自粛と囁かれているので書いてみました。

Comments (2)

高原正成3月 17th, 2011 at 8:42 午前

 正面切って・・・とは言いにくい。しかし、自分のやっている事を続けなければ、全てが止まるきっかけになりそうな気がする。
 募金もやはり千円、二千円単位になる。一か所だけでなく、分割支払いで、時間をおいて二三か所・・・できればいい。
 来週から、仲間とともに、京都寺町三条上がるのギャリエヤマシタという画廊で予定している彫刻小品展も、一年前から準備して、十数人が顔を合わせる。親戚、知人の被災者もあるが、おそらく義捐金の話は出そう。
 それが今、小生のできる方法。やめるより動いたほうが、周囲の人と協力しやすい。一人はやっぱり無力に近いし、集まる機会は逃したくない。

青木陶芸研究所3月 19th, 2011 at 12:46 午後

こんにちは、わたくしの情報網?では「自粛派」と「健全なる経済活動推進派」五分五分という感じです。ツイッターやブログ等、情報発信されている方は後者で、町内や会社で接している方達はうつむきがちになっていて、一つイベントが自粛という形で延期になりました。個人的には富岡さんのおっしゃるとおりです。自粛ムードは経済を停滞どころか破局に向かわせます。私たちは空気を読むより「変えていく」事をすべきではないかと思います。世の中を変えていくのは困難でエネルギーを使いますが鮒寿司を食べてまた立ち向かえば良いです。

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