私の鮒寿司漬けのルーツについての妄想

2010年11月16日

先日のことですが
公務員を定年退職されて悠々自適な暮らしをされている
近所の方と、世間話をしておりました。

その方も数年前に商工会の鮒寿司講習会を受けて
その後は毎年鮒寿司を漬けておられるようで
自然と話題は鮒寿司の話に移っていきました。

「子供の頃、うちでは鮒寿司なんか漬けてなかったけど
冨岡君のところはどうだった?」

「うちは漬けてましたね〜。子供の頃に祖母さんと母親が
鱗取りをしているのを見ていたり、取り出した鮒の
浮き袋で遊んでいたのを鮮明に覚えていますわ〜」

「そう、僕は子供の頃は知らなかったなぁ〜。
初めて鮒寿司を口にしたのは姉が嫁に行った先のうちで、
何だこれは!とビックリして食べられなかったなぁ〜。
それが今では酒のアテには最高の一品に (^^♪

「うちの母親も実家では漬けていなかったと言っていましたわ。
結婚してこちらに来てから鮒寿司の漬け方を知ったとの事です」

「という事はシゲやん(祖母の名前)が知っていたんやね」
シゲやんは一人っ子で養子取りだっだね?」

「そうですね、それから祖母さんの母親は
香花寺(琵琶湖に近い村)から来ていますね」

「そうか、冨岡君ちの鮒寿司のルーツはシゲやんの
母親の家から伝わったんだね〜」

「なるほどねぇ、そうかも知れませんね」

<鮒寿司の伝わっていった系図?>

<鮒寿司の伝わっていった系図?>

祖母の人生の前半はとても寂しいものでした。
両親の結婚生活は3ヶ月でした。祖母の母が妊娠した頃
祖母の父は家の修理中に屋根から誤って落ち、
それが元で亡くなったそうです。

ですから、父もいない兄妹もいない母子家庭でした。
更に祖母が大人になって結婚して子供が4人出来たものの
夫は出征し戦死してしまいました。

戦争中だった当時はそういう家庭があちらこちらあって
特に珍しい事ではなかったのかも知れませんが、
私の父が家主の役を担うまでは祖母と曽祖母の母子は
細々ながら力を合わせて血脈を繋げてきたということなのですね。

料理は母から娘へ継承されるものなのか?
その辺りは私はよくわかりませんが、母子家庭であった
祖母は料理に対して曽祖母の影響をより大きく受けたのは
想像に難くありません。
曽祖母の出身は旧竹生村香花寺という所です。

<旧竹生村のおおよその範囲>
<旧竹生村のおおよその範囲 竹生島を含む琵琶湖東岸の地域>

我が家に鮒寿司が伝わったのは、曽祖母の出身地からという
想像は楽しいですし、ロマンもありますが
既に亡くなった人々ですので聞き取り調査も出来ません。
ですから鮒寿司のルーツはファンタジーです。

私が一押しでお薦めの書に
「ふなずし」を考える』という小冊子があります。
その冊子には鮒寿司研究の第一人者の堀越教授の調査資料も
掲載されています。その中で鮒寿司は琵琶湖岸や河川流域の集落だけでなく、
そこから離れた地域でも漬けられていることが示されています。

県内全般に広がっている鮒寿司漬けの風習(伝統?)は
祭りなどで象徴される集落毎の風習や伝統の継承という事もあるでしょうが
それ以外にも、血縁を通じて家から家へ、集落から集落へと
伝わっていった要因も多いにあるのではないか?と
ふと思いました。

私の鮒寿司漬けのルーツは3代前に琵琶湖岸の村から
伝わったというのは、ちょっとエキサイティングです。

更にその技術を伝えた人々は、瀬戸内海を通って
琵琶湖岸へと移動してきた人々で、その移動して来た人々は
遥か東南のメコン流域から、何世代もリレーしながら日本に渡り
東進して来きた人々だった。その人々がたどり着いたのは
稲作と淡水魚の豊かなこの地域だった〜
と考えるのは無理のない妄想です。

実在するバトン「鮒寿司」がありますのでね。

<メコン川流域の淡水魚を米と漬け込む保存後術の伝播?>
<メコン川流域の淡水魚を米と漬け込む保存後術の伝播?>

商工会の鮒寿司講習会の記事ついてはこちら。
お薦めの小冊子『「ふなずし」を考える』の記事はこちら。

<外部リンク>
小泉武夫さんのメコン川流域の食文化の話

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