podcast 28 浅井比売命が住まう神懸かった島に効果的に出会う道筋

2010年3月22日

(↓黄緑色の三角をクリックすると音声が流れます)

今回は私の関心事の一つでもある
あざい」という地名についてです。

ポッドキャストの24回目でも話していますが、
今回、海津からは竹生島が見えないことを
湖里庵の女将さんに教えて頂いて知りました。

そのことからいろいろ考えていきたいと思います。

家に帰って、インターネットで滋賀県北部の地図を
検索して見てみました。地図の竹生島から線を西へ引っぱり、
海津大崎の琵琶湖にせり出した最南端をかすめそのまま線を
西へのばしていきます。

そうすると、その線の北側は海津大崎の山に遮られて
竹生島が見えないエリア(紫色)だと分りますね。

<竹生島・伊吹山の見える範囲と旧浅井郡の境界>
<竹生島・伊吹山の見える範囲と旧浅井郡の境界>

湖里庵はそのエリアに入っている事が確認できます。
海津の湖岸から琵琶湖の全景を眺めるとどんな感じなのか、
動画も取ってきました。

実は湖里庵へ行ったのは夜で、風景写真やビデオ撮影が
できませんでしたが湖里庵の女将さんの話を確かめたくなって、
改めて日曜日の昼間に、また海津へ出かけてしまったのですね。

実際に海津からの琵琶湖の景色を意識的に眺めてみると、
東の方角、湖北地方や竹生島などは、琵琶湖にせり出した海津大崎の山のせいで
見え無いのが確認できます。伊吹山も見えないのですね。

 

ああ、これは文化圏が違うわと、納得しました。
海津の人が普段眺めている対岸は彦根や近江八幡であって、
それより北の地続きに隣接する湖北地域は見えていない、
といことは心の距離感も遠い感じがするのではないかと思われますね。

湖里庵の女将さんが話していた、となりの町と言っても
西浅井(旧浅井郡→旧西浅井郡→旧伊香郡→現長浜市)
への道は犬も帰ってくるという程に
隔たれた両地域だったのでしょうね。

実際の昔の交通も、海津から隣町の西浅井町方面へ陸路を行く場合は
一旦北国海道(西近江路)を敦賀方面へ北上し、
愛発峠当たり(今の国道161号と365号線の合流地点?)から
折り返し、西浅井方面へ南東に向かう道しかなく、
後は峰越えか船で行くしかありませんでした。

前回もお話ししましたが、海津大崎にトンネルが掘られて、
西浅井方面への道路が開通したのが昭和11年の事です。
図書館で調べてみましたら滋賀県史の交通土木の項目の中で、
11年6月28日に塩津、海津間が新しく開通して
琵琶湖を一周する湖岸道路が繋がった事が記されていました。

<普段読まないような本もたまに読むと面白い>
<普段読まないような本もたまに読むと面白い>

最初は国道303号として、しかも崖崩れなどで通行止め期間も
あったりなどで、一年を通して通行が可能というわけではありませんでした。

両地域を遮断する山に奥琵琶トンネルが開通してようやく
通年交通可能になるのは、昭和59年1984年とつい最近の事です。

滋賀県は京都、奈良、伊勢、北陸、岐阜愛知など中京方面の
要に位置して古代から交通が開けていましたが、隣町でありながら
つい最近までまともな交通路が無かったというのは、
それだけ交通の必要性も無かったからでしょうか?

そういう意味でもここに古代からの郡の境があったのは
頷けるなぁと改めて思いました。

穿った見方をしてみますと、この湖岸道路は実際の
交通需要を反映してというよりは、明治以降の近代に入ってからの
県の中央集権的な意思を反映した道路ではなかったか?
などと思ってしまいます。滋賀県の統一感を出す為の道路ですね。

政治的にも近代化を進めるシンボル的な意味合いがあったのでは?
などと、ふと近代史をペラペラとめくっただけで、
無責任な言い方かもしれませんが、思いました。
実際、滋賀県内は明治時代は幕府直轄地や県外の藩の飛び地など、
まだ領地は入り組んでいたようですね、

また逆に、もしかしたらトンネルを必要とする
両地元の切実な要望もあったかもしれません。
この辺りの事情などは、私は不勉強ですので
どなたかよろしければ教えて下さいね。

現在はこの湖岸道路は、国道303号から県道557号に変わっています。
行楽シーズンを除いて、大きな鹿か出没するくらいに
とても閑散とした道路です。物流上の重要度はあまり無いようですね。

実際にこの道を車で進んでいきますと、
いくつか連なる海津大崎のトンネルを抜けて岬の先端を通過していきます。
位置的に直ぐ対岸の葛篭尾崎に遮られてしまいますが、
チラッとだけ伊吹山が見えます。

<海津大崎のトンネルを抜けて葛篭尾崎を背にチラット見える伊吹山>

<海津大崎のトンネルを抜けて葛篭尾崎を背にチラット見える伊吹山>

そして湖上に竹生島が姿を現します。

湖上に浮かんだ竹生島はいつ見ても、神秘的というより異様な感じがします。
古くから信仰の集まる島ですが、こうして人里離れた場所から眺めると、
何だか本当に霊力があるように感じてしまいます。

<人の気配が薄い場所から竹生島を見る。その奥は霊仙>

<人の気配が薄い場所から竹生島を見る。その奥は霊仙>

この霊力の光の及んでいた範囲、実際に島が見える範囲の
線をのばしていきますと、律令の時代から地名として存在する
旧浅井郡の範囲とほぼ一致します。

西は海津大崎、東は山本山によって境界が出来ます。
信仰心を持って竹生島を支えていた人々が住んでいた地域を
示す範囲とも言えますね。

海津大崎から大浦へ向かう湖岸沿いの道程は、現在においても、
そういった宗教的感情を再現できる道程でもあるようにおもいます。

もし、こういった事に関心があります方は一人で、
または出来るだけ少人数で、しかも観光シーズンをずらして
閑散とした時期にこの道を走られる事をオススメします。

旧浅井郡の住人でなくとも、何らかの原始的な感情が
わき上がってくるのではないでしょうか?

旧浅井郡についてはまだまだ語りたい事がありますが、
また機会がありました話をしたいと思います。

最後に、この湖岸動を走った動画も掲載しています。

国道161号線、旧西近江路の追坂峠(おっさかとうげ)付近から
見え始める琵琶湖を眺めながら路を下り、海津大崎を通り、
そのまま近江の秘境菅浦までの道程を10分間にまとめました。
ブログトップの地図、A〜Bの間のルートです。

撮影が子供なので、途中車酔いするようなカメラワークもありますが、
桜並木が続いていたり、琵琶湖が見えてくる状態など
おわかり頂けると思います。関心があります方はご覧下さい。

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